きょうだい児の私が親亡き後に感じたこと

こんにちは。あなたの自由度をあげるヒーラー セントラルサン林 陽子です。

私は「きょうだい児」なのですがこのサイトでも、これからきょうだい児に向けて記事をまとめていこうと思います。きょうだい児の最も懸念することは親亡き後のこと。私の両親はもう他界しており、まさに親亡き後の状態に入っています。

今回は実際、どのように生活が変わったのかまとめてみます。

きょうだい児とは

きょうだい児とは病気、障害者の兄弟姉妹のことです。私の場合は

兄:ダウン症(障害者)
私:きょうだい児

となります。

両親ですが

2008年に母(79歳)
2015年に父(89歳)

が他界しています。

「きょうだい児」という呼び方を知ったのは20年前でしょうか。

私はPCを初めて購入し、きょうだい児のMLに参加して交流していました。もちろん個々の家庭によって状況は違いますが、きょうだい児は健常者でありながらも生き方をかなり制限されます。

子供の頃は障害者の兄弟姉妹が優先され、我慢することが多く良い子でしっかり者になる。親から進路を押しつけられることもあり、自分の好きなことができない。恋愛・結婚したいと思っても障害者の兄弟姉妹がいることでスムーズに行かない。親亡き後の面倒を見る、見ないの問題もある。

家族、障害者の兄弟姉妹のサポートをすることを常に意識せざるを得ず、きょうだい児はヘタをすると両親の介護、兄弟の介護と一生誰かのサポートをしなくてはいけなくなります。

きょうだい児はそれらのことを誰にも相談できない。孤立しやすくまだまだ行政、教育関係者にも問題として認識されていません。そして親自身も障害者の子に意識が向き、余裕が無いため、後々やっと問題に気付くこともあります。

これは同情して欲しくて記事を書くわけではないんです。

親からコントロールされやすい境遇であるということ、様々な問題について考えなくてはいけなくて翻弄されがちではあるけれども

シンプルに考えると、結局は親の望むことを強要されたときにどう考えてどう行動するかということが大きいのかなと思うんです。それはきょうだい児に限ったことではありませんよね。

親の思いが強すぎる家庭は案外多いものです。

以前はきょうだい児は家族とともにあるというのが美徳でしたが、今ようやく自由にしていいのではないかという時代になってきました。

他人に左右されず自分の感情を大切にするための事例として、きょうだい児ではない方にも読んでいただけたら嬉しいです。すべての人にとっての共通の課題がここにあると思っています。

長くなりましたが、それでは親亡き後どう変わったかについてです!

障害者の兄の世話を親と同じようにやらなくても平気だった

以前の状態

兄はダウン症で療育手帳の等級はA2。重度なので会話、筆談もNGです。
両親も父が3級障害者、母が2級障害者でした。

兄は親の生前から福祉施設に入所しており、長期休暇で帰省することがありました。
両親が帰省を受け入れていましたが、母の他界後は私が父の手伝いをするようになりました。その時点で父は83歳、右足が不自由(義足)だったので一人で兄の帰省を受け入れるのは無理があるからです。

施設が設定した長期休暇、イベント、保護者会等をトータルすると年間60日位あって最初はその多さに戸惑っていました。長期休暇では10日近くなることもあり、父も体力的に辛かったかもしれません。

(実は、本来はこれに通常の週末帰省もあったので、月に8日プラスになるのですが、両親がとてもじゃないけど体力的に無理と免除してもらっていました)

GW、お盆、お正月、春休みが長期休暇だったのですがそれぞれ7日~10日程あります。

6年間それは続き、父も帰省日を徐々に減らすように施設に交渉するようになりました。7日~10日を3泊4日→2泊3日→1泊2日という感じです。

親亡きあと

帰省は大幅に減らし年に2回、それぞれ1泊2日で受け入れていましたが、2016年以降はお休みしています。保護者会や施設行事もまったく行かなくなりました。

実は、親の生前から帰省を手伝うたびに具合が悪くなっていました。帰省が終わるとぐったりして何もする気が起きない。完全にエネルギー不足になっていました。そしてようやく体調が戻った頃に次の行事や帰省が来てしまう。

2016年に腰と膝のコンディションが悪くなったため、施設の方に今はできないと伝えています。年2回、施設利用の件で面談があるのでそれには行っています。

2017年 福祉施設での面談2日。事務手続きで1日 実働3日
2018年 福祉施設での面談2日。事務手続きで2日 実働4日
2019年 福祉施設での面談2日。事務手続きで1日 (5月現在)

10年前は60日間やらなくてはいけないのかなと戦々恐々してましたが、今では年に2~3日やれば一応なんとかなるというところまで来ました。交渉するって大切。

親の期待に応える必要がなくなり楽になった

親が兄に対して「こうしてあげたい」と思う中には、親が一人でできなくて私がそれを代わりにやることもあったので、いま考えると余計なことをしなくなって本当に楽になりました。

それは兄のことをどうして欲しいというレベルから、家のアレを〇〇さんにあげて欲しいとかそんなことまでです。

自分がやりたくないことは一切やらないことにしました。

子供~学生の頃は、親亡き後は、自分で何もかもやらなくてはいけないと思っていて、正しい采配ができるのか心配でしたが

なんの問題もありませんでした…

障害者の兄弟のお金の問題について

お金のことは両親がそれなりに対策してくれたので、私が何かすることはありません。

以前は私がお金の管理をしていましたが、今は弁護士さんにお願いしています。その費用も完全に兄の財産の中から支払われているので、私の負担はありません。

まとめ

親亡き後のことは、自分が思っていたより楽でした。両親ともに障害があり、兄の世話をするのは厳しいため、早い段階で入所できていたのが大きいかと思います。

家庭によって考え方が違いますので何とも言えませんが、施設だと規則正しい生活ができるので本人にとっても良いと思っています。

(帰省の時は朝から晩まで怠惰に過ごしています…)

兄が高齢になった時の健康問題は気になるところですが、今考えても仕方ないのでその時考えようと思っています。

今回は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!

2 件のコメント

  • 入所できる障害者は
    楽ですょ
    入所できない、してない障害者は
    兄弟に負担大きいです。
    家族崩壊になってる

    • 兄弟が入所していないと確かにとても大変だと思います。
      ただ楽になるために重要なのは置かれた状況よりも
      自分がどのような考え方をしているかです。
      最初は自分は悪くないのにどうして変わらなくちゃ
      いけないか理不尽に思うんですけどね。
      でも自分が変わると状況が変わって楽になります。

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