きょうだい児の私が障害者の兄の帰省を受け入れなくなった経緯

こんにちは。あなたの自由度をあげるヒーラー セントラルサン林 陽子です。

私は現在、福祉施設に入所する障害者の兄の帰省をお断りしているのですが、それは2016年に膝にトラブルを抱えたことがきっかけでした。

あまり頑張るときょうだい児自身が疲弊してしまうので、今回はそのことについてまとめました。

兄の世話に実家へ行くとお腹が痛くなる

こちらにも経緯を書きましたのでちょっと重複はしますが、改めてここでも書いてみます。

きょうだい児の私が親亡き後に感じたこと

2018年5月17日

母の他界後に父と二人で兄の帰省を受け入れた頃は年間の長期休暇、保護者会、施設行事などを合計すると約60日ほどありました。

父だけに任せておけないのはこの時点で83歳という高齢だったこと、父自身、右足が義足の3級障害者であったからです。

スケジュールに合わせて自分の仕事を調整する必要があります。家で仕事をしていたのでそちらのほうはなんとかなりましたがちょくちょく体調が悪くなっていました。

日程的には問題なくても帰省にエネルギーを注ぎすぎていましたね。

この頃は結婚していたので(現在は独身)帰省に合わせて実家に戻ろうとするとお腹が痛くなるんです。

まさにアレです、学校に行きたくなくてお腹が痛くなる小学生!

それで取り急ぎ父に電話をすると「チッ」という反応。アテが外れて向こうも面白くなかったみたい。こっちだって具合が悪いながらも気が気でないんだけど…。

お腹痛くなるって、どんだけ帰省の受け入れをしたくないんだってことですよねー。

でもこのときはまだ時間どおりに実家に行けない自分を責めてました…。

兄の帰省後、体調が戻らない

特に長期休暇の後は自分のコンディションの悪さが気になりました。帰省が終わってもだるい。力が入らない。やる気がしない…自分のことが全然うまく回りません。

この頃はヒーリングの研鑽を積み始めた頃で、頑張りすぎると良くないことは理解はしていました。でもそれほど自分に影響があるとも思ってなかったんですなー。それで友人にどういうことなのかチャネリングしてもらったところ…

(※スピ系受け付けない方はスルーしていただいて結構ですが、私は納得しました)

例えば春休みの長期休暇が3月下旬から4月上旬まであります。その帰省が終わってから大体私の体調が戻るまでに20日位かかるらしく、やっと戻ったところにGWがやってきてまた長期帰省があるため、コンディションが戻らないらしい。

ななな、なるほど…。

GWの後はおそらく6月ぐらいに体調が戻りその後2ヶ月ぐらいは自分のことできますけど、8月にお盆休みが来てしまったらまたエネルギーが奪われる。秋は行事が多い。そして年末年始。

自分を優先させるには、もう帰省の受け入れを減らすしか方法ないじゃんねという結論。

福祉施設に相談してみたら

そこで帰省を減らしたいと相談したんですが、反応は悪かったです。父からは「家族と施設と一緒に連携していきましょうっていうポリシーなんだよ」と言われましたが

だって、そんなの聞いてないし。

親亡き後、なし崩しに世話が始まるとこういうことになるんだなー。

あらかじめ免除するのは無理らしいと分かり、長期休暇の前に「今回は〇泊でお願いします」という感じでその都度希望日数を伝えてました。父も交渉するようになりました。

だいたい5年ぐらいかけて少しずつ短縮をお願いするようになりました。

膝がぐるんと一周する

2015年に父が他界し、翌2016年。この頃は年2回それぞれ1泊2日ぐらいで帰省を受け入れていました。保護者会も施設のイベントも不参加だったので、年間60日→7日位のサポートになり随分と兄のことに割く時間も減っていました。

兄は小柄なのですが、こだわりが強いので抵抗する力はかなり強いです。自分のペースじゃないと動いてくれません。

「施設に戻るよ」と促しても拒否されることがほとんどで、仕方ないのでこちらは別のことを始めます。するといつの間にか玄関で靴を履いてる。でも上着を着てないし荷物を持っていないことが多い。

この日は玄関が空いた音で気づきました。門から出た兄に「用意するからちょっと待って!」と促すと

思い切り手をふり払われ

予想外の動きで膝がぐるんと一周し

!!!激痛!!!

この後は大変でした。もう父も他界して私だけなのに、1時間かかる施設に送っていかなくてはいけない。私の最大のピンチだったと言ってもいい!

まともに歩けない…どうしよう…

でも根性で送っていきましたけどね…(遠い目)

この後、しばらく接骨院に通ってみましたがあまり良くならず、帰省を受け入れても兄が全速力で走ろうものなら多分、追いつけない。

これは、帰省無理。

そんなわけでお断りしているのですー。

今年に入り、相性が良さそうな整形外科に巡り会ったのでもう一度ちゃんと治療しようと思っています。

あ、これを読んで私が兄に対して怒りや恨みの気持ちがあるのではないかと思う人もいるかもしれませんが、それはありません。

どちらかというとこの時の帰省を受け入れてしまった自分を反省しております(恥)

帰省受け入れの日数の推移

記録を取っているわけではないですが、大体このような感じで帰省日数を減らしてきました。

2008年

母他界。父(83)と帰省受け入れ開始。長期休暇、保護者会、施設行事などで年間約60日のスケジュールをこなす。兄の成年後見人になりお金の管理をする。

2009年~2013年

少しずつ帰省日を減らせないか相談する。自分の負担も減らす。一緒に参加していた保護者会は父ひとりに任せるように。この5年間が一番そういう意味では帰省日の変化がありました。7日~10日の帰省日を4日、3日、2日という感じに減らしていきました。

2014年~2016年

2013年11月に父が緊急入院し2014年はまるまる入院。帰省は1泊2日を年2回。兄のことというよりは父のほうがメイン。2015年に父他界。

2017年~

帰省はなし。

まとめ

断ることに罪悪感もあり年に2回、最低限と思って帰省を受け入れていましたが、このようにダメージがあると自分の生活が成り立たなくなってしまいます。

そんなにやっていないと思っても想像以上に自分のエネルギーを捧げているもんだなーと分かりましたので、無理はしないように気をつけています。

私も絶対にもうやらないと思っているわけではなく、体調が戻ったらできる範囲で帰省を受け入れても良いと思っています。やっても年に1回位だと思うけど。

今、ご家族、ご兄弟の介護で奔走している方、やりすぎだけには注意してくださいね。

今回は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!

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