きょうだい児の私が障害者の兄の帰省を受け入れなくなった経緯:補足「良い子」を辞めると楽になる

こんにちは。あなたの自由度をあげるヒーラー セントラルサン林 陽子です。

以前「兄の帰省を受け入れなくなった経緯」として記事を書きましたが、補足としてもう少し書いてみることにしました。プレジデントオンラインから興味深い記事も合わせて紹介します。

身体的なトラブルを起こして介護できなくする

以前、こちらの記事で兄の帰省時に膝をひねってしまったことを書きました。

きょうだい児の私が障害者の兄の帰省を受け入れなくなった経緯

2018年5月18日

スピ的に考えると、自分にとっての喜びで心が満ちている場合はあまりトラブルに遭遇することはありません。

魂の器である肉体は遺伝的な問題や生活習慣で必ずしも万全とはいかない場合もありますが、宇宙と一体となった過ごし方をしていればトラブルを回避できることも多いはず。なのにトラブってしまったということは私は私の心に従っていないということです。

そこで私はこの帰省を受け入れてしまったことを反省していると書いたわけなのですが、確かに福祉施設側から打診されて

【これくらいはやらないといけないだろうな】と思ってやっていました…は、恥ずかしぃ~(汗)

以前に比べて帰省の受け入れは激変したので、年に2回、それぞれ1泊2日くらい仕方ないだろうと思っていたのですが、それさえも「やりすぎ」という警告として膝のトラブルが起こったようです。

よく大きなトラブルに巻き込まれて人生観が変わるようなことがありますよね。誰かとの死別であったり、自分自身が大病を患う、事故に遭うなど。

あれらは「もうこのまま同じような生活を繰り返してはいけない」というメッセージとして起こるんです。

私の場合、家族の世話をするというのは子供の頃から日常化されていたので気づきにくかった。でも、よくよく自分の内面を見ていくと

断れない=良い人に見られたいというのは表裏一体。

多分、このまま続けていくと帰省を断る正当な理由として、もっと大きな病気や怪我にあうかもしれません。いやいや、そうなったら自分が損するだけ。そしたらやることはひとつ。

帰省を受け入れないことですよね。

もう施設の方からどう思われてもいいやー、兄より自分が大事だし。だってそれで何かあって入院するようなことになっても生活の保障してくれるわけじゃないし。

Why!?何故、弁護士から言われるのだ?!

でも、そう思っても不思議な現象も起きます。

足をひねった頃、私は兄の成年後見人として財産管理をしていたのですが、その業務を弁護士さんに依頼することになりました。(この話は今後まとめたいと思いますが、今は成年後見人として『身上監護』だけはやっています)

最初の頃は引き継ぎとして福祉施設に一緒に行って挨拶もしましたが、何故かその弁護士さんから「ちゃんと帰省を受け入れましょう」的なことを言われたんですな。

はいぃぃ~!?な、なぜあなたから言われなくちゃいけないのだ…???

私の理解の範疇を超えていて思考が停止しました。

これ、どうやら本当に意志を通せるのか、全然関係のない人を通してお試しだったみたいです。

よく介護してるとまったく関係のない人に「家族なんだからやってあげようよ」「助け合うべき」なんて無責任なことを言われるものですが、それだったみたい。

今後、その弁護士さんとどう付き合おうかなー?と思ってたんですが私が施設側に「帰省NG」と伝えたら不思議と何も無くなったんです。

どうやら弁護士さん自身も「もっと施設に来るように」と施設側から言われてたっぽいことが分かりました。いやいや、仕事は財産管理だし。それだけやってくれれば私は何の不満もないんだけど。

子供には親の介護のためのDNAがないらしい!?

プレジデントオンラインで面白い記事がありました。

「なぜ子供の世話はできても、親の介護はしたくないのか」という記事です。

「親の介護」は、子供から「気力」「体力」「お金」という人生の3大要素を容赦なく搾取していくのだ。しかも、搾取される期限がいつまでか誰にもわからないために、このまま自分の人生が親の介護で終わってしまうような感覚に陥ってしまう。実際はそんなことはないのかもしれないが、そう感じてしまう。

引用:プレジデントオンライン

親の介護さえこうなんだから、兄弟姉妹の世話はさらに厳しいですよね。年齢が近い分、介護が終わる時間は途方もなく長いかもしれない。

「あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」

引用:プレジデントオンライン

うーん、人生100年時代と言われてますが、あんまり長生きもどうなのか。自分のことは自分でできるようにやっぱり健康に気をつけて、収入源をきちんと確保しなくてはいけない。でもそれは何かを嫌々やることではなく、本当に毎日自分を大切にしていると整ってくるのだろうな。

親の介護は5年を超えると「刑罰」と同じ?

『介護期間1~2年なら頑張りがきくが、5年超えると「刑罰」』とまで書いてありますね!

私の場合は母は入院10日で他界、父は入院1年での他界と終末介護にしては期間は短かったと思います。(そのかわりそれまでが長い)

もし二人とも家で看るようなことがあったら、私ちゃんと生きていられたかなぁとよく思います。

そして5年で刑罰って、私もう半世紀ぐらい兄のことやってんのになぁ。

物心つかない幼児の頃でも親の期待は常に注がれてるからエネルギー的にはお世話しているのと同じだと思ってます。

やはりもう解放されても良いと思う。一生分やった。きょうだい児は成人するまでにもう一生分、世話や介護をやってますね。

まとめ

親はもちろん兄弟たちに必要以上に世話や介護をしているんですね。そしてそもそも、親や兄弟の世話をするようにできてないのに理性だけで続けている。これは凄いことです。

まずは嫌々やっている自分に対して罪悪感を持たないことが大切だと思います。「大切な家族なのに嫌悪感を持っている私って人間として最低」と思っているとどんどん心が病みます。

「私は本当はやりたくない。でも状況としてはやらなくてはならない」と一旦定義するとちょっと楽になる。それからどうやって手抜きをするか工夫することかな。

そして将来自分が誰かの世話にならないためにも、自分を浄化していくことも大切だと思います。記事の中で問題を複雑化させる要因として「孤独や恐怖、不安や、痛み、不自由さ、ありとあらゆる不平不満をぶつけられる」とありますが、これはビリーフを手放すことで減っていくからです。

今回は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!

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